第1章 望まぬ出会い 

 

 御本尊様をお祭りしている大きな黒檀の仏壇の片隅に、コマチの骨壷は安置している。もったいなくもありがたい仏様のおそばに徳の薄い畜生の骨を置くのはどうかと迷ったが、御慈悲のお許しを頂いて安置した。この子と暮した9年8ヶ月の重みがそうせずにはいられなかった。家族の中に溶け込み、共に生きることを本当に喜んだワンちゃんだった。・・・いとしいコマチ、お前を慈しみ守ってあげたあの幸せや悦びを、家族にしてくれた尊い振る舞いを私は忘れたくない。お前が生きたかわいい愛の軌跡を、残したいじらしい痕跡を書き留めよう。・・・そうせずにはいられないから・・・・・



 コマチは1997年5月29日、夫の同僚で、損得の帳尻合わせにブリーダーの真似事なんどをしながら番いのポメラニアンを飼っていた、仮にAさんとしよう、その人の処で生まれた。
 コマチは最初から不運なワンちゃんだった。いっしょに生まれた犬は健康で問題なく売れたのに、コマチは手に異常があって売り物にならなかったらしい。いずれは処分される運命だった。ところがAさんに仏心が生じたのか、生じさせる徳がこのワンちゃんにあったのか、Aさんは殺すに忍びず夫に頼み込んだというのが当時の事情だったようだ。


 血統犬を貰って来るという話を夫から切り出されたとき、私は猛然と拒否した。娘には動物のフケアレルギーがあった。なんとしても娘を守らねばと思い詰めてしまった・・・・・
「みどりの喘息が出てきたらこわいし、あの子がつらい思いをするから、な、お父さん、断って!・・犬はどうしてもあかんのや、分かって!」
 娘も以前犬とじゃれていて発作を起こした経緯があったから、母の心配に不安を募らせて・・・・・
「お父さん、わたし、咳が止まらんようになるの、いやや!・・犬なんか貰ったら、喘息で死んでしまうかもしれへん!」


 母娘の必死の抗議に耳を傾けることなく、夫は同僚の哀訴に気のいい所を見せ通した。自分たちの境涯には縁のない血統種というところにも魅力を感じたのかもしれない。
「うちが飼わんでも血統犬や、誰か貰ってくれるわ」夫は安易にそう言い張った。
 母娘が悶々と苦しんでいるうちに、招かれざるワンちゃんは7月28日、段ボール箱に入れられてとうとうわが家に来てしまった。
 

 当時のことは日記をつけてもいなかったし、色んな意味で余裕もなかったから何一つ書き記していない。コマチが来たときの様子や身長、体重、その後の成長記録を残していれば・・・子犬の頃の可愛い写真をいっぱい撮ってやれば・・・よかった。今、そう思う。
 物書きを気取って愛犬のことを克明に描きたいが、記録がないとなればあとは記憶を掘り起こすしかないのだが、物覚えは悪い方だし加齢のせいもあってスッキリ思い出せない。あの頃の全てに靄がかかってしどろもどろの状態だ。仕方がない、どろどろの記憶ファイルは廃棄して私の心に刻まれた消しがたいエピソードのみを書くことにしよう。


 夫の手から台所の板敷に置かれた段ボール、中からクンクンと小さな泣き声がしていた。私と娘は恐る恐る箱を覗き込んだ。
「ちっちゃいなあ!――」後の言葉が出てこない。円らな黒目が私に訴えている何かに胸打たれた。・・・何かとは、ありふれた表現だが、人の愛なくしては生きられないこの子のガラス細工のような脆くて可愛い命だった。
「ぬいぐるみみたいや・・・かわいい!」ずっと暗かった娘の顔に、久しぶりに少女らしい太陽が昇った。
 箱から出してやると前足をふんばり、ちっちゃなお尻を突き出してウーウー威嚇し出した。私と娘は顔を見合わせて、あんぐり・・・・・
「チビ犬のくせに、一丁前に警戒して・・・なあ、お母さん」
「ほんまやなあ・・・かわいいけど、噛むかもしれへん」
 犬の本能に一歩引いた私に対して、娘は面白がることしきり。親以外の生き物の出現に思春期の好奇心がおおいに悦んだようだ。
 まだまだ恋しい母犬と引き裂かれクンクン泣きながら連れて来られた赤ちゃんワン子も、冷たいミルクにかわいい警戒を解き、娘と部屋中かけっこしたあとコテンと正体不明に寝入ってしまった。


 情が移ってしまわないうちにとその晩、近くても普段は行き来も出来ない親類の家に電話をかけまくった。嘘はつけない、全てありのままに娘の喘息のことやブランド犬だと話したが、誰も相手にしなかった。いくらタダでも売り物にもならない血統犬は御免らしい。冷たいお利口さんばっかりだ。


 途方にくれた。夫の言うことを真には受けていなかったが、ある程度は期待していた。
 犬を飼いたくない、うちでは飼えない、これが私の動かない本心、状況なのだ・・・・・だけど捨てるような酷いことは出来ない・・・ブル・・そうだ、ブルのようにはしたくない、あの可哀想なブルのようには・・・このままワンちゃんを置いて、もし娘に喘息が出て来たら?それも耐えられない、あれほど苦労してあの子の喘息を完治させたのに・・・じゃ、どうすればいい?どうしたら娘もワンちゃんもうまく行くの?・・・ああ、御本尊様、お助けください!どうか、御仏智をください!
 朝夕の勤行で仏様に、私たち家族とワンちゃんが安穏に共存していける道を模索して真剣にお祈りした。・・・そして唱題に唱題を重ね出た結論は、ワンちゃんを日蓮正宗のお坊さんの清らかな祈りで御祈念して頂くことだった。
 もとより短命だったワンちゃんが幸せに寿命を全うするには、ワンちゃんの人生(?)が私たちにとってもワンちゃんにとっても幸福なものにするには・・・人間の力では不幸な宿命を真に転換するのは不可能だ・・・これを叶えるにはもう、仏様の不可思議なお力におすがりするしかない、それしか道はなかった。
 後日、娘と犬を連れて所属寺院に参詣し、私の願いを祝儀袋に書いて1万円を御供養し、御住職に御祈念して頂いた。お経の前に御住職さんが、「ちっちゃなライオンみたいだな」といってコマチを抱いてくださったのがありがたかった。


 ぬいぐるみよりも愛くるしいワンちゃんに、コマチとすぐ名が付いた。娘が付けたのだ。小野小町の犬バージョンだそうだ。実際コマチはメスのポメラニアンの中ではダントツの美顔だった。後で知ったのだが。
 名前も付き、恐縮するAさんにも譲り受けたお礼をきちっとし、晴れてわが家の家族となったコマチ。が、その前途は多難だった。わが家といっても夫のドメスティックヴァイオレンスや娘の家庭内暴力が吹き荒れる崩壊した家庭だ、まともな家じゃない、そこに薄幸のワンちゃんがやって来たのだから。
 私はどこまでも正道を行くつもりだった。誰も信じないだろうが、娘への子育てがそうであったように。コマチに対しても最後まで誠実な飼い主であり続けようと決心した。そんなきれい事が通る境涯じゃないとわかっていても私の性分だからしょうがない。あとは御本尊様にどうにもならぬ純情を守って頂くしかなかった。
 娘時代に貯めた貯金(結婚時には600万ほどあったお金も使い尽くし、残り数十万になっていた)をくずし、犬の飼い方本のマニュアルに沿って用具(ケージやトイレ、リード等)を買い揃え、混合ワクチンを1年に1回必ず打ち、フィラリアの予防薬を毎月飲ませ、お金が続く限りは月に一度のトリミングも欠かさず行こうと決めた。
 犬は子供の頃、弟が拾って来てそのまま世話を放棄してしまったブルという雑種しか知らなかったが、デリケートな純血種は細やかでたっぷりの愛情と、うーんと唸る紙幣が必要なワンちゃんだとつくづく実感した。正直、負担(経済面で)に感じて貰いっ放しの無責任夫を心中で幾度罵ったことか・・・・・夫は夫で「俺らの分際で勘違いな飼い方をしやがって」と口こそ出さね、反感を抱いているのはわかっていた。


 幸いにも護られて娘はコマチにアレルギーを起こさなかった。ほっとしたし、すごくうれしかった。体が小さいことや、お金をかけて正道の飼い方をしたのがよかったみたいだ。やはり御本尊様に祈り、護って頂き、授かった御仏智に沿って努力するといい結果は出るものだ。
 ポメラニアンは利口で感情表現が豊かな犬らしい。本にはそう書いているが、コマチもそれを裏切らないワンちゃんだった。犬とも思えない、私から言わせれば父母や夫よりも人間(?)味のあるワン子だった。なにせ家族で私を苦しめなかったのはコマチだけなのだから・・・辛い話だが。
 荒んだ地獄の家庭にやって来て、たちまち引っ張りダコのアイドルになったコマチ。彼女のかわいい功績を次の章で書くことにしよう。






戻る