保健所にも登録され、コマチは正式に私の飼い犬となった。ブランド犬に憧れてペットショップを覗いたわけでもなく、犬好きが高じて捨て犬の譲渡会に顔を出したわけでもないのに、思いも寄らぬ展開に乗せられて私は生後2ヶ月のメスのポメラニアンの、左手がちょっと歪なワンちゃんの飼い主になっていた。不思議な縁だ。前世からの因縁でもあったのだろうか。
前世といえばコマチの前の生は何だったのかしら?・・・・・ひょっとして、ブルかもしれない。面立ちや毛色、性質がそこはかとなく似ている気がする。なんとなくそう思うだけかもしれないが、コマチがブルの生まれ変わりの可能性は十分あり得ることだ。因縁があるのだから。・・・ブル・・・思い出すたびに悲しみの帷がすーっと降りてくる、辛くて暗い記憶・・・ブルの話を少し書こう。
確か、中学生の頃だったと思う。三つ下の弟が生まれたばかりのメスの子犬を拾って来た。ミックスだがたいそうかわいらしくて愛くるしいものだから、弟は朝な夕なに猫可愛がりにかまいにかまっていたけれども、少し大きくなってから素麺のような寄生虫をいっぱい出した。それが気持ち悪かったのか、子犬の愛らしさが失せてしまったことに興ざめしたのか、弟はブルの世話をしなくなり、鬱陶しがる母に丸投げしてしまった。
ブルは、日当たりが悪くてじくじくした土がいかにも匂いそうな、不潔な前栽の庭木に鎖でつながれ、母のイヤイヤの世話でなんとか生きていた。なにかの拍子で鎖が外れると、家人が居る座敷に上がって狂ったように駈けずりまわった。その目に浮かぶ追い詰められたような悲愴な色が今も心に焼き付いている。雑種犬でも心もあれば感情もあるのだろう。自分のことを大切に思って可愛がってくれる人もなければ場所もない苦しみを、ブルの目は訴えていた。
なんとかしてやりたい、ずっとそう感じていた。当時の私と共通する目だったから。けれどもなにも出来なかった。虫をいっぱい出したブルが心配になって、病院に連れて行き薬を飲ませたことぐらいしか・・・・・
その後ブルは2年足らずでいなくなった。哀れな最後だった。母が散歩に連れて行ったとき、メスの匂いを嗅ぎ付けて寄って来た野良犬に囲まれて、身を案じた母は鎖を放して自分だけ逃げ帰った。鎖を付けたまま置き去りにされたブルはそのまま戻って来なかった。不憫に思って私が後から探しに行った気もするのだが、鮮明な記憶はない。
ブルのような犬にしたくない、何があっても、どんな状況に陥っても、絶対に。・・・これが犬を飼う私の原点だし、コマチに対しても一貫して持ち続けた強い思いだった。飼い主に裏切られたブルの悲しい顛末は、思春期の多感な精神に一生抜けない楔となってグサリと打ち込まれたのだ。
コマチ・・・もし、お前が不幸なブルの生まれ変わりだったら、南無妙法蓮華経のお題目をいっぱい唱えて宿命を転換させてあげるからね・・・私の愛情でお前を幸せにして、悲しい因縁を断ち切ってあげるよ・・・そんな思いがコマチを見つめながら、世話をしながら、どこかであった。ブルに罪滅ぼししたい願望が私の中にずっと潜んでいたのかもしれない。
犬を飼う中心者の接し方ひとつで、おのずと家族のワンちゃんに対する関心度も変わってくるものだ。私がコマチを家族の一員として大切に思う情が娘や夫に伝播したのか、コマチはブルと違ってよくも悪くも家族全員から干渉を受ける、ペット全開のワンちゃんになった。
コマチをかわいがりたい思いは家族全員の共通感情だったが、接し方は各自の生命が出て異なった。私、娘、夫、三者三様のキャラで接するものだから、コマチもテンテコマイだったろう。・・・フサフサ尻尾を健気に振って家族みんなに愛玩犬の役割を忠実にこなした、彼女のいじらしい奮闘ぶりを紹介しよう。
ワンちゃんは家庭の中の力関係を微妙に察知するものだ。コマチも例外じゃない、夫に一目も二目(?)も置いていたようだ。
夫が帰宅する5分前になると玄関へ行き、ちょこんと座ってお出迎えをする。帰って来ると喜んでワンワン、ワンワンと吠えまくる。コマチが出来る最高のサービスだ。それから夫の酒のお相手をする。テーブルの下に潜って、いい気分になった夫が投げ捨てる食べ物を待ち構えるのだ。(コマチはこのときに床をなめずりまわす癖をしっかりつけた)塩っ辛いもの、油っぽいものお構いなしだ、量も半端じゃない、「お父さん、コマチの具合が悪くなるからやらんとってよ・・・かわいそうやんか」という母娘の非難の哀願も、酔っ払い特有のすわった目力で黙殺、嫌悪を感じる指先で食べ物をつまむと、その手がテーブルの下に消えて行った。
一度こんなことがあった。悪酔いした夫がなにを思ったか、わさびのチューブを1cmほど絞るとコマチの口に持って行った。 まだ1歳にもならない子犬に何がわかる?なんでも口に入れるにきまっている。いつものおいしい食べ物と思って小さい口がほおばった直後、ケッ、ケッ、と苦しみ出した。この間1分足らずのあっという間もない出来事で、私は「お父さん、何すんの!止めてよ!」と叫ぶのが精一杯。苦しそうなコマチがどうなることかと心臓がパクついたが、暫くして元に戻ってほっと胸をなで下ろした。が、心底許せなかった、夫の悪質なふざけが。・・・こんなこともあった。夫は食事が済むとすぐ寝るのだが、そこにコマチを呼ぶ。添い寝させるのだ。コマチは夫が寝入るまで傍で寝たふりをしている。その日もそうだった。夫は横になり、布団の上でコマチとじゃれていた。ふいに夫は起き上がりコマチを掴むと高く放り投げた。落ちた所は側の布団一枚敷いた木製のベッドの上だった。死なないように意識して其処に投げたのだろうが、それでもかなり感情走って怒っている様子が見て取れた。このときも私は「キャーッ!」と悲鳴を上げただけだ。粗相か噛むか(はっきり覚えていない)したというのだが・・・・・
夫にはコマチの負の部分(糞尿の世話や噛み付くこと)を耐えてやるやさしい心が欠落していたみたいだ。・・・自ら家庭を放棄し、ドメスティックヴァイオレンスに堕ちて行った人だ、夫は。家族も守れないのにペットを慈しめる筈もない。それを期待するのも愚かしい話だ。・・・この程度で済んでよかったのだ。日々、南無妙法蓮華経を懸命に唱えていたから、仏様の不可思議な御加護を頂いて守られた。でないと、夫も不本意ながらコマチを怒りにまかせて殺していたかもしれない。信心の功徳が、夫とコマチの双方を救ったのだと思う。
当時の夫は自業自得とはいえ、まともな夫婦関係も心の通った親子関係も失い、ある意味身勝手な孤独だった。30cmにも満たない愛くるしい小動物に慰めを求めたのも自然の流れだったろう。コマチがクッションになって、夫の私たちへの不満や暴力が緩和されていたのも事実だ。コマチはかわいい畜生そのままの姿で尊い仕事をしてくれていたのだ、私たち家族を守るという・・・・・
コマチの1年3ヶ月続いた加古川での生活は大阪へ移ると同時に終わった。夫とコマチの過去遠々劫からの悪因縁(そう思えてならない)もきっと断ち切れたことだろう。
次は愛娘とコマチのかかわりを書こう。そして、愛犬の立派な功績も・・・・・
コマチがわが家へ来たのは娘が中学2年のとき、登校拒否が始まって3年目の夏だった。1、2ヶ月に一度担任がお義理で尋ねて来る以外は外部と遮断した生活を送っていた娘・・・そこにちっちゃな闖入犬が大きな使命をたずさえて現れた。
娘が閉じこもりに陥ったのは小学6年からだった。精神が最も発達し、最も不安定になる思春期になって、小さい頃から感じていたろう自分の家庭がよそとは違うことから派生する様々なコンプレックスが、もはや耐えられないところまで膨らんでしまったのかもしれない。いい環境を与えてやれなかったことは不憫だし、申し訳ないと思っている。過去世からの悪因縁による自身の罪障や、不幸な環境で生きる徳しかなかったという因果の道理を、母娘ともに勇気を持って悟っていくしかないのだろう。
それにつけても思春期は大切な時期だ。脳をより高度な内容に成長させ、将来社会の中で生きていける人間を形成する意味において。この時期に閉じこもり、外界の刺激をシャットアウトしてしまったら、脳、特に精神面において大きなダメージをくらってしまう。かといって、学校へ行きたくても行けない深刻な心の状態がある。・・・実は私も登校拒否児だった。母娘が同じ宿命を受け継ぐのはよくあるというが本当だなと思う。私の場合、文学が救いとなった。文学こそが、閉じこもりから社会へ戻って行けるたった一つの入口になった。
娘は文学を好まなかった。読むといえばお気に入りのコミックを呆れるほど読み返していたか、あとは夢中のテレビ番組に本人いわく命をかけるほどのめり込んでいたか・・・そんな生活が3年も続けば虚構の世界がまことしやかになってくるものらしい。娘の思考がどんどん歪になっていくのをどうすることも出来なかった。娘と口をきけば、歪んだ考えを是正する説教になってしまう。説教のはずが感情的になってケンカに発展するのがいつものパターンだった。・・・娘に少しでも将来の幸せにつながるいい行ないをさせてやりたいのに、現実は逆方向へ逆方向へと転げ落ちて行く苦しい日々、必死でお題目を唱えた。どうして娘はよくならないの?と迷っても、また必死に御本尊様を求めていくその繰り返しだった。・・・そんなとき巡り会ったのが、コマチだ。
犬は人間で例えれば4歳児の頭脳があるらしい。人の感情にも敏感に反応するそうだ。本来なら好奇心真っ盛りのはずの年頃で母親以外の誰とも関らない娘には、自分の目線で微妙に反応してくれるコマチがたまらなくかわいかったのだろう。命令するときはペットのワンちゃん、遊ぶときは妹みたいな友達、世話をするときはマイベビーといったところか。
「おすわり」や「お手」も娘が仕込んだ。ある日突然出来たらしく、娘が喜色満面で私に見せに来た。テレビ等では見たことはあるが、実際に犬がするのを見るのは初めてだった。・・・ちっちゃなコマチが「おすわり」といえばちょこんとすわり、「お手」といえば右手をちょんと私の手にのせる仕草は、えもいえず可愛い。ただそれだけのことではあるのだけれど、思わずコマチをグニュッと抱きしめて頬擦りしてしまった。娘は「お手」のプレミアム版、左手も出させる「お代わり」も教え込んだ。
頼めば娘はコマチのトイレの始末や食事の世話もよく手伝ってくれた。但し、機嫌が悪い時は悪態の礫が雨霰と降るからコマチもさぞかし縮み上がったことだろう。いい時は意外にもといってはなんだが、手を抜かないきめ細やかな世話をしてくれる。そんな振る舞いの奥に本人も気づかないやさしい品性を感じるのだが。・・・例えばコマチのおしりを拭くとき(ウンチをしたらいつも除菌ティッシュで肛門や周りの毛をきれいにしていた)でも、私なら結構大雑把に拭くのだが、娘は時間と労力をかけてやさしく丁寧に拭き取っていた。娘の場合、やる気さえ起これば万事がそういう塩梅のことが多い。
娘とコマチはよく遊び、よくじゃれた。夫と違って娘は懐を深くしてかわいがっていたから、噛まれても一向苦にならない様子はなかなか堂に入ったものだった。・・・私が印象に残っている加古川での微笑ましい思い出を書こう。当時家に居て運動不足だった娘はコマチととにかくよく走った。廊下からダイニングキッチンへ入り居間を抜け廊下へ出てまたダイニングへと、ぐるぐるドタバタ走り回るのだ。追いつ追われつの鬼ごっこのつもりらしいが、居間の入口から娘が首を突き出せば、ダイニングの入口にいたコマチもにゅっと首を伸ばして娘を認める。や、すっ飛んで追っかけて行く。その格好がおかしいやらかわいいやら、犬とも思えない智恵を感じる。姉と鬼ごっこしている幼い妹のように見えるから不思議だ。最後は娘が居間のベッドに上がって小賢しく逃げ勝ち、コマチが口惜しそうに吠えてお仕舞いという人間臭い幕切れだ。
人間臭いといえばコマチにはこんなかわいい行動もあった。娘が荒れだすと、攻撃は私ばかりかコマチにまで及ぶことが多かった。そうなると一目散に私のところに逃げて来る。姉にいじめられた妹が母に味方してくれといわんばかりに。・・・私が立っていると二の足にもぐり込んでワンワン、座っていれば膝に飛び乗ってウーウー、がぜん強くなって吠えるわ唸るわで、たいていの場合これで娘の吊り上った目尻も下がった。
娘は憂さ憂さしていたり精神的に追い詰められてくると、コマチにちょっかいをかけたり当たるような行為に出るが、本心でいたぶる気じゃないのはわかっていた。とうの娘が誰よりもコマチを傷つけることを恐れていたからだ。ただ、苦しくなってくるとどうすることもできない弱さがあった。学校という規律ある社会生活から逃避すれば大きなストレスからは解放されるが、自由気侭な生活に陥ってちょっとした我慢やストレスも耐えられなくなってくる。一方で将来の不安や人生の落伍者のレッテルの重圧は、少女心にも否応なしに日々のしかかっていただろう。・・・悪環境、悪循環での娘とコマチの共存生活、どう考えてもうまく行く道理はなかった。しかし、仏様の小さな不思議が起きた。その不思議は数年後の大きな奇跡を娘に呼んだ。娘の尊い仏性はコマチの世話をするストレスに基本的に耐えれたのだ。(もちろん小さなイザコザはしょっちゅうだったが)その培われた忍耐力で今度は祖母の介護を手伝えるようになった。そして一段とレベルアップした忍耐力は今、非常に厳しい労働条件で働いて私を養ってくれている。また、コマチとのかわいいコミュニケーションは当時の母子二人の閉塞した関係に風穴を開け、社会で働ける協調性を少しでも補ってくれた。御本尊様に守られたコマチの存在は、娘が立ち直り社会へ復帰する大切な踏み台の役目を知らぬまに果たしてくれていたのだ・・・・・
この章の最後は、コマチの思い出が一杯貼られた私の心のアルバムをパラパラとめくりながら、愛犬と触れ合った懐かしい日々を語ろう。
コマチがわが家に来た当初、頭を悩ました事があった。食事(餌)だ。Aさんがコマチが来るときにドライフードと缶詰タイプの二種類を持たせてくれたのだが、ドライタイプは全く食べず、缶詰も2回ほど食べてそっぽを向いた。近くのホームセンターで色々見繕っては食べさせてみたが、どれも2回以上はノーだった。私としては犬に最もベターだという某メーカーのドライフードを食べさせたかったが、なかなかマニュアル通りに行かないものだ。仕方なく家で野菜と鶏のささみのスープ(知らずに玉葱も入れていた)を作って食べさせたりしたが、肉だけ食べて野菜は食べてくれなかった。これじゃバランスが悪いと数回で止め、結局たどり着いたのがご飯の副食ドッグフードかけだ。コマチはご飯がたいそう好きで、これは喜んで食べた。1袋百二、三十拾円のレトルトドッグフードを分量を計ったご飯と混ぜ、朝晩の2回に分けて与えた。この食事は家計が苦しくなる平成15年まで6年程続いただろうか。その後はコマチの口に合うドライフード(レトルトよりはるかに安価だった)が見つかってそちらに替えた。・・・ご飯の副食ドッグフードかけはニチャニチャしているから歯によくない。最初の頃は犬の歯ブラシやロープ、布等で歯磨きをしてやっていたが、コマチがひどく嫌がって暴れるようになり、根負けして諦めてしまった。案の定、歯も口臭も年々ひどい状態になっていき、これには本当にがっかりしたし、コマチの健康面でも心配だった。
食事の時にはコマチの頭に手を添えてお辞儀(のつもり)をさせ、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と三唱し、いただきます、ごちそうさまでしたの挨拶を欠かさなかった。御本尊様のありがたい功徳がコマチの生命に染み入りますように、この子が死ぬまでご飯をおいしく食べれますようにと願ってのことだ。
加古川に居た頃は散歩もこまめに連れて行った。喜ぶのだが、散歩が下手なワンちゃんだった。犬や子供に出くわすと猛烈に吠えた。シベリアン・ハスキーのような大型犬でもおかまいなしなものだから、私の方がびびった。大きい犬が向こうから来るのがわかると、早めにコマチを抱き上げ、そそくさと道を変えた。
リードにも素直じゃないし、飼い主の思い通りにならないワン子だった。どうやら野放しで散策したい犬らしい。そこを躾なければいいワン子にならないと思って義務感に燃え、大声で叱りつけたり、引きずったり、おしりをぶったりして模範の散歩犬にしようとしたがやっぱりダメだった(きっと、やり方が悪かったのだ)。コマチのような個性派にとって、マニュアルは単なる例にすぎないのだと思えば気も楽になるというものだ。
大阪に移ってから、リードを付けずに散歩する犬が結構多く道を闊歩しているのには驚かされた。そういう事情であればうちのような、飼い主に似て社交下手のワン子は散歩を断念するしかない。・・・コマチは女の子だし、花も恥らうかわいいお尻に野放しのオス犬がまとわりつくのかと想像するだけでも屈辱でイヤだった。
私と娘がコマチを連れ加古川の家を出ようとした時、兄弟親戚のごく当たり前の協力もなかったものだから住む所が見つからず難儀したが、そんな折、少ない選択肢の中からたまたま条件に合ったのが私たちには到底不相応な、今住んでいる高級賃貸住宅だった。真綿で首を絞められるような家賃の恐怖を覚悟せねばならなかったが、リビングが13畳という3LDKの住居は日当たりや風通しが抜群によく、生まれて初めて家らしい快適な空間に住むことが出来た。・・・御本尊様のお住まいであるお仏壇を2万円、30万円、80万円と、私のなけなしの貯金で思い切って買い替えて来たその功徳を頂いたのだろうと思う。
埃と騒音にまみれた家から美しい、空気も美味な家に引っ越して来て、コマチはのびのびと歩き、走り、寝そべった。時折、風に揺れるカーテン越しにうっとりと外を眺めていたのは何を思ってだろう?
私が機能的な台所で包丁をトントンと使っていると、いつの間にやらコマチが来ている。自分が犬であることをすっかり忘れたワンちゃんは、キュウリやレタス、梨や林檎、時にはまぐろの切れ端を貰ってご機嫌な足取りでキッチンから出て行く、毛むくじゃらのお尻をフリフリ振りながら。・・・食べ終わればまた催促に来る。その時の犬面がとってもかわいい。が、そうそうやってはいけない。
家族が夕餉の団欒を囲むとき、コマチにもちゃんと定席がある。私の足下で目をキラキラさせて待っているのだ、小指の先ほどの肉や魚を1回きり口に入れてもらうのを。・・・正月や家族の誕生日にはコマチも朝からイソイソ犬なりにはしゃいでいる。家族の一員としてご馳走やケーキのちょっぴりの分け前をお相伴させてもらえるからだ。
他にも色々なことがあった・・・・・コマチの体中にわいた蚤を私と娘が舶来の蚤取器を使ってテンヤワンヤで追っかけまわしたことや、キッチンのゴミをあさるコマチにびっくりした私が箒で追い払う真似をして厳しく躾ようとしたこと等々、思い返せばきりがない。・・・思い出の中にいつも、不器用ではあるが愛しいコマチにムキになって頑張っている私がいる。コマチがかわいければかわいいほど理想的な飼育の情熱に燃えていた。しかし、どんなに望んでもこの子の前世の罪障や周りの悪因縁(私も含めて)があって、その現実はどうにもならない。・・・模範的な犬、模範的な飼い主が叶わないのなら、許される範囲で精一杯理想に近づきたかった。私にはハードルの高い理想だが、諦めてしまえばコマチを慈しむ心が色あせていくような不安を覚えた。愛犬を裏切りたくなかった。愛する者を立派にしてあげたい、そして、そのような愛で自分も立派になりたいと願うことが私流の愛情だったから。・・・だが、私は愛することに少々独り相撲になりすぎて、肝心なことに気がつかなかったようだ。次の章で書く、コマチの死を覚悟して初めて思い知らされた。・・私は癒されていたのだ。ひとしずくの愛情も、家庭不和の地獄の炎で一瞬にして怒りに蒸発してしまうような環境だもの、うちは。そんな中にあって、コマチという小動物を愛し守ることで、私は人間らしい潤いを味わせてもらった。・・私はコマチに知らずに癒されていたのだ、娘よりも夫よりも、おそらくもっと深く・・・・・