加古川にて
  

 私が初めて三十一文字の世界に足を踏み入れたのは、今から10年前、1997年の春だった。当時、私は子宮筋腫の術後の体力が元に戻らず、朝か夕の散歩で体力の回復を図っていた。百人一首や好きな啄木を暗誦しながら、しっとりとした心地で歩くのが一日の楽しみだった。そんな日々が一年近く流れて、毎日見慣れたはずの景色の変化が気になるようになり、そのちっちゃな感動を表現したくてたまらなくなった。幹線道路沿いにある騒音と埃にまみれた自宅を出て、薄汚れていない空気のおいしい新興住宅街を抜け、道路脇に広がる田園風景をなぜか懐かしむ思いで眺めながら歩いたり、ちょっと足を延ばして自転車を走らせ、木立に囲まれた公園を散策しながら無心な鳩の戯れに目を癒されたものだ。
 加古川は結婚と同時に移り住み、私と夫と娘の家族三人で15年間暮した。離婚して娘と大阪に出てきて二年半、残った夫は私と娘に許しを乞う遺書をのこして自ら命を断った。加古川は私の人生の経過とともに思いだすのも嫌な町、悲しくて素通りするのさえ辛くなる町、そしてあらゆる感情が風化した今、セピアの思い出だけがいとおしく蘇ってくる、生まれの地と同じ故郷になった。明石についで第二の故郷だ、加古川は。経済事情が許せば、死ぬまでにもう一度訪れたいと思っている・・・・・



<春の歌>

加古川や 春光浴びて キラキラと 煌めく早瀬 豊かに流る
(橋を渡る車の窓から見た、加古川の美しさに魅せられて)

雨上がり 朧にかすむ 町並みを やさしく淡く つつむ夕暮れ
(春雨にしっとり洗われ、ふんわり黄昏てゆく情景に軽い感動を覚えて)

小雨降る 午後の公園 人も無し 一群れの鳩 雨とたわむる
(人も嫌がる雨の公園で、ただ鳩だけが冷たい雫と無邪気に戯れている様子が妙にいじらしい)

ふと見れば 何処も彼処も 七分咲き 今か今かが いつのまにかに
(桜は、毎年待ち焦がれているのに開花したらもうと、驚かされる不思議な花だ)

あゝ桜 今を限りと 咲きほこる 花花花の イリュージョンかな
(毎年巡り逢う花、桜。なのにいつも新鮮な感動に酔いしれるのは何故?)

春風に 吹かれ散りぬる 花びらや 凋落の美ぞ ここに極まる
(可愛い薄紅色の花びらを惜しげもなく散らせてドラマティックにその寿命を閉じる。桜、永遠性を秘めた花)



<夏の歌>

初々しや 幾たび重ね 旋回す あわや地面を 衝く若ツバメ
(五月下旬の公園にて。行動の意味は知らないが、一羽のツバメの青臭き躍動に感興を誘われて)

浅茅生の 畦道何処に あるのやら イネもチガヤも 波打つ緑
(ついこの間まで田んぼと畦の境がはっきりしていたのに、7月17日の今、稲と茅の見分けがつかぬ) 

雨後の田は くっきり緑に 白一点 わが眼凝らせば 瞠目の鷺 
(濡れた艶やかな緑と白のコントラストもそうだが、田で初めて鷺を見た驚きに目が釘付けに)

熱き音や 一期一会の 妻求め 一寸の命 燃ゆる雄蝉
(長い生涯に一度の、それも刹那の逢瀬を求めて命を震わす雄蝉の鳴き声に憐れを感じて)



<秋の歌>

きりぎりす 避けれず踏みて 悲鳴上ぐ 照れ笑いとは にがき悔いかな
(虫如きにたいそうな悲鳴を、そんな気持ちが滲み出た自分の笑い。苦い記憶に・・・)

清風や 香り漂う 金木犀 知らずのうちに 我うっとり顔
(爽やかな風に乗って甘酸っぱい香気が・・・たまらなくいい匂い!)

降る落ち葉 吹かれる落ち葉 舞う落ち葉 駈けゆく落ち葉 重なる落ち葉
(まるで生きているように見える落ち葉の動き、追っている目が飽きない)





 
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